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入れ歯を入れるとハグキがやせると患者さんはよくいわれます。だからすぐ作りかえないといけないと。これは本当でしょうか? 私も以前はそれが常識のごとく思っていましたが、今は考えがすこし変わっております。 部分義歯の場合は確かに吸収するようですが総義歯の場合は変化しないのではないでしょうか。辻中先生も一度作ればつくりなおすことはないといわれています。 事実ここまでは本当でしょう。が、うまく適合している入れ歯なら、過度の刺激でなく適度な刺激のため吸収はおきません。その証拠に入れ歯を入れなけば歯槽提はやせませんし、うまく出来たケースの入れ歯は何十年使っている患者さんがおられます。
確かに歯を抜くと抜いた歯のまわりの骨は変化するでしょう、しかしある程度固まれば、それ以上は決して変化いたしません、と私は考えております。 |
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いままで一番遠くから来院された人では東は栃木県、実家が高槻なので実家に泊まり箕面まできてもらいました。 東京からも元ANAのパイロットでやはり大阪に親戚がある人で飛行機代は無料とのことで。
西からは福岡の人で新幹線を使ってやはり大阪に土地勘があり以前に働いていたらしいです。
おなじ福岡から最近来られた人は例のLCCを利用して格安のため6回の券を予約して来られました。 四国からは新居浜市、徳島から。 遠くからの患者さんの治療は気をつかいます。100%完璧をめざしています。近くの人ならまた来てくださいと言えますが遠くのため時間と交通費を考えると治療が自然と慎重にならざるをえないです、そのため午後はその人のみの治療に専念して義歯をつくりました。
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私のブログから 私のルーツ 祖父のことはすこし書いたので、今度は祖母のことを書いてみます。 祖母は私が生まれた昭和16年に他界しており、当然顔を見たことがないのですが、彼女はすごく美人であったらしいです。 ”女が惚れる女と”堀ちえみさんもかわいくて3度結婚してそれぞれ子供がいるそうですが、私の祖母も三度結婚し、三度目の祖父との間に5人子供を生んでいます。 一度目、二度目と子供がそれぞれいて何人生んだのでしょうか? 今のように生まないようにしなかった時代なので、そうなったのでしょうが明治の時代”二夫にまみえず”という、女大学の教育を受けた時代にまさに自由活発に生きた女性だったようです。 今としては確かめようがないのですが、その子供の中に「エンドウシヨクロウ」という著名な弁護士をされていた人が居たと母が言っていたし、国府津で病院長をしているという内容のハガキが、父の存命中に来ていたこともあるので、祖母はただ美人だっただけでなく、聡明さも持っていたのかもしれません。 山梨県の甲府の出身で、父はよく千曲川で子供のとき泳いだことがあるとよく話をしていました。 案外、武田信玄の足軽でなく侍大将の子孫だったかもと勝手に想像しております。 後日談ですが、ある時に金庫の中を整理していると、古い戸籍謄本が出てきて、見ているとおばあさんの記述がありました、安政5年の生まれです。安政の大獄で有名な時期で井伊直弼の頃で歴史を感じます。父は永井伝エ門と母とよの次女として生をうけています。 これも後日談ですがH29.6月ごろなにげなくテレビのクイズ番組を見ていると、野口英世(細菌学者)、血脇守之助(歯科医)、遠藤至六郎(弁護士)の3人が写っている写真に職業を併記したのが出ておりビックリしました。 確か弁護士と書かれていたはずです。ネットで調べると歯科医になっていたがこの辺の事をご存知の明治か大正生まれの方がおられたらお教え願いたいです。 血脇守之助は東京歯科専門学校を創立した人で、歯科界では有名な人です、野口英世のパトロンだった人です。 甲府の親戚から大阪までマスカットのブドウを親戚からよく送ってきたらしいです。 今となってはその遠い親戚の人も音信不通です。 父が何故、横浜から大阪にやってきたかについてはまたの機会に書くことにします。父のことを書くとひとつのドラマができそうです。
2019/03/14 |
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